決定版 タオ指圧入門

講談社アルファ新書

遠藤喨及 著

 

※本書は「タオ、気のからだを癒す」の文庫本版です

文庫本前書き

 

不思議なもんだ、と思った。

今回、本書の親本である、『タオ、気のからだを癒す』(法蔵館)の原稿を、

文章全体に手を入れてリメイクした。

それであらためて思ったのだが、親本での私は、

まるで一分のスキもない紳士のような文章を書いていたのである。

 

なぜそれが不思議なのか?

あまりにも実物(私)のイメージとかけ離れているということもある。

しかし、それ以上に思うことは、こうして気負いなくリラックスした文体で

書けるようになったという”時代”の変化について、である。

 

親本の原稿を書いていた当時は、一般に気や経絡は

非科学的なうさんくさいものであり、

これが実在するなどという認識は、まるでなかった。

 

また指圧にしても、いわうる按摩やマッサージの

延長のように考えられていた。

指圧が東洋医学の一部というような認識は、まったくなかった。

ましてや、本書で述べているように、

指圧が東洋医学の中心という認識など、あるはずもなかった。

 

それが今やどうだ。

数多の気や癒しの本が世に出されている。

また、たとえ専門でなくても、ちょっと意識の高い人ならば、

その口から経絡や、また医療における心の重要性すら語られるようになった。

 

さて、親本での私が、不似合いながらも

紳士然とした文体で書いていたのには理由がある。

 

当時、そんなに価値が認められているように見えなかった指圧である。

あの文体は、気と経絡の指圧を、なんとか認知してもらおうという、

涙ぐましい努力の結果だったのである。

それが、お陰さまで、もうそんなに気負わなくても、

こうして等身大の文章が抱える時代になった。

本書のように、心を主とした気経絡の医療について述べても、

受け入れてもらえるようになった。

 

それは何よりも、増永静人師をはじめとして、これまで幾多の先人の方が、

経絡や、また手技療法の道を究めて来られたからだ。

その努力や汗が地下水脈となって、今、この時代に現れたということだ。

 

実は、当時の私は、そうした先人の方々の想いを背負って、

執筆しているつもりであった。

 

そんな畏れ多いことが、果たしてどこまでできたのかはわからない。

また、読者にしてみたら、数時間ほどで、

あっけなく読み終えてしまうものなのかもしれない。

 

しかし私にとっての、原稿完成までの数年間は、

まるで出口のわからないトンネルを

掘り続けているような、途方もないものであった。

そして私は、思うのである。あの数年間、執筆に費やしたエネルギーは、

こうしてリメイク版の文庫が出版されるような、今のこの時代を、

ずっと待っていたのではないだろうか、と。

 

二〇〇九年八月

 

遠藤 喨及