タオ、気のからだを癒す

法蔵館

遠藤喨及 著

本書の一部紹介

東洋医学としての指圧

経絡が、古代中国人によって発見されたのは、

病んだ人を癒そうと、「手当て」を医者が行ったためであろう。

すなわち、共感的な手当を行うことにより、

その治療手段としてこれを発見したのである。

 

実際のところ、患者を癒したいという想いを

こめたスキン・タッチなくしては経絡は認識できない。

共感的な手技によって、経絡は認識されると同時に、

治療され得るのである。

 

 

支え圧とは何か

支え圧に表現されている、相手に対する全幅の信頼感と、

相手に対して受け身になる姿勢こそ、東洋医学の基本的医療観である。

 

患者への信頼とは、患者の内部に働く、

自らを癒す力(生命力)に対する信頼感のことである。

 

また、患者が本来持っている、

自らを癒す力を最大限に引き出すためには、

患者を矯正したり、症状を攻撃するのではなく、

医者が患者に対して、むしろ受け身な態度をとり、

患者の生命への共感者になることが必要である。

 

指圧や鍼灸、あるいは漢方薬であれ、

本来の東洋医学は、これらを媒介として、

患者の生命に共感する方法なのである。

 

 

武道と指圧

「ゆるみを取る」というのは、「気の技法」の特徴で、

先述したように、患者の体に圧を加えるのではなく、

その表皮を動かして、すき間のない状態を作る技法のことである。

 

これは、合気道において用いる技法の一つを応用したものであるが、

このことは気の技法が、ある意味において武道と指圧の一致という、

指圧の理想の姿を完成させたものであることを物語っている。

 

なぜなら武道という自らの気を鍛錬する方法が、

そのまま指圧の技法として応用できるならば、

術者が指圧を他者に施せば施すほど、

それが自らの気の鍛錬となって、自らの気を豊かにするからである。

 

 

指圧の証診断

一般に診断といえば、何か体の異常な個所を

発見することだと思いがちである。

しかし東洋医学における「証」の概念は、これとは異なり、

”患者の気(生命)が何を欲しているのか(虚)を理解すること”である。

 

証診断は、術者が能動的に患者の身体をさぐり、

その弱点や悪い所を捜し当てるといった行為ではない。

術者はあくまでも受け身であり、患者を何の評価することなく、

ひたすら共感し、その生命の訴えを謙虚に聞いていくのである。

そうすれば、患者の生命は術者を信頼して、

その本音(虚)をそっと打ち明けてくれるのである。

 

 

精妙でクリアーな世界

私たち人間は、どうしても自我意識に頼って物事を判断しようとする。

また意識(あるいは理性といってもよいかもしれないが)こそ、

人間が精神的に発達し得る最高度のものと思い込んでいる。

しかし意識は、元来ものごとを区切り、判別・比較する働きであって、

きわめて限界性の強いものである。

 

なぜなら、意識の働きによっては、普遍的生命のように

比較分別を超えた世界を捉えることはできないからである。

証診断に必要な、主客を超えた自他無分別の境地などというと、

何やらボンヤリとして混沌とた世界を想像されるであろう。

 

しかし、遠近大小などの物質的な尺度が当てはまらないだけで、

実際には、より精妙でクリヤーな世界である。

 

「虚」が心に映る

治療中はずっと、相手を感じようと共感し続けなければならない。

相手に共感し続けることは容易なことではない。

しかし、経絡治療を続けていくうちに、やがて

「無我になり、ただひたすら相手の生命に共感し続ける」

という精神状態を保つことができるようになる。

 

そして、他者の生命を感じようとし続けているうちに、

患者に宿る自他の対立を超えた普遍的生命が、

了々として実感されるようになってくる。

 

すなわち治療者が経絡治療によって、

生命共感の修行を積んでいくうちに、

やがて心境が澄んでいき、その心に「虚」が

はっきりと映し出されるようになるのである。

 

それは、あたかも曇りのない鏡に、

対象がはっきりと映しだされるようなものといえる。

 

 

小見出し・文章は編集の都合上、本書の通りではありません。ご了承ください。